に傍点]したる事あるべき理無し。先生は「攻撃するもの憚る處なく大に攻撃して可なり。吾人僅に破顏一笑せんのみ。」と云はるれど、曾て新聞記者の捏造記事に對しては破顏一笑したる余も、この度の捏造を基礎とする一文は、日頃我が尊敬する永井先生の草せられしものなるを以て如何に努力するも破顏一笑する事能はず、眞面目に申開きに及ばざれば心濟まず、無實《むじつ》の罪を負ひて默してあらんは余の堪へ得ざるところなり。
余が永井先生の御作を愛讀する事年を越えて變らず、「文明」創刊以來月の初は特に待たるる心地して、矢筈草、けふこのごろ、文反古、雨聲會の記、色なき花、支那人、腕くらべ等何れも三讀三誦し、人にむかつてこれを推稱したる事あれども不眞面目なる作品なりとて攻撃したる覺えなし。
頃日先生の所謂三田の文人、雜誌編輯の用件にて集りし席上、井川久米兩氏の間に「永井荷風論」あり、兩氏見解を異にして論爭せられし時、座に在りし余さし出口して「永井先生は自身に不眞面目がる興味をよろこべど遂に不眞面目になり得ざる事文明[#「文明」に傍点]載する所の文章之を證して餘あり」と云へり。これ余の僞らざる感想にして、先生に此の特
前へ
次へ
全4ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
水上 滝太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング