年の年月の歐米滯在中彼が學んだ事は何であるかといふと、それは人間を愛する事と人間を憎む事である。最もはげしい愛憎のうちに現るゝ人間性を熱愛する意志と感情の育成に他ならない。彼は不幸にして他人を愛する事が出來なかつた。そのかはりにその父母兄弟姉妹を、自分自身よりももつと愛する嬉しい心をいだいて歸朝した。それだけの人間である。
 自分は自分を第三者と見て、上述の如き記述をした。しかしその眞の自分を知つてゐる者は自分以外には數人の友人の外に誰もない事實を思ふと、流石に寒い心に堪へ難くなる。一度東京朝日新聞の奸譎邪惡憎む可き記者の爲に誤り傳へられてから、自分の目の前に開かれる世界は暗くなつた。或學者は人間の愛を説いて、愛とは理解に他ならないといふ。それを愛の一部だとしか考へない自分も、無理解の世界、誤解の世界には生きてゐられない。見る人逢ふ人のすべてが、新聞によつて與へられた先入觀念で自分を見る世界が、自分にとつてどんなものであるか、恐らくは人をおとしいれる事を職とする憎む可き程淺薄低級なる新聞記者には理解出來まい。
 自分を知らない人で、朝日その他の新聞の捏造記事を見た人は、殆どすべて彼の記
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