し、事實を語る事を承知して、折柄電話で會見を申込んで來たタイムス社の記者と稱する者に丈逢ふ事に決めた。
 二人のタイムス記者と稱する者が大きな風呂敷包を持つてやつて來た。自分は勿論ヂャパン・タイムスと信じてゐたので、そのつもりで話をしてゐた。彼等は巧妙に調子を合はせてゐる。自分は教はりはしなかつたが、慶應義塾の高橋先生は今でもタイムスに筆を執つて居られるか、といふ問にも、然りと返事をしたのである。さうして約卅分は過ぎた。すると二人の中の一人は俄に話をそらして、實は今日は別にお願ひがあると云ひながら、その持參の風呂敷を解いて、「和漢名畫集」といふものを取出し、それを買つてくれと云ひ出した。創立後幾年目とかの紀念出版だといふのである。自分は勿論斷つたが、それならお宅へお買上を願ふから取次いでくれといふので、爲方なく奧へ持つて行つた。母は買つてやつて早く歸した方が無事だと云ふのである。馬鹿々々しい、こんな下らない物をとは思つたが、母の心配してゐる樣子を見ると心弱くなつた。とう/\自分はなけなしの小遣から「和漢名畫集」上下二册金四拾圓也を支拂はされた。
 ところが後日聞くところによると、このタ
前へ 次へ
全27ページ中18ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
水上 滝太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング