春の女)と淋しい靜かなおとなしい(秋の女)は君の歸朝したことを知つてゐるかどうか今は誰もその姿を見た者もない」と結んだ。
自分はカフヱ・プランタンといふ家に足を踏入れたのは前後三囘きりである。一體に日本のカフヱに集《あつま》る客の樣子が、自分のやうな性分の者には癪に障つて堪らず、殊に一頃半熟の文學者に限つてカフヱ邊りで、しだらなく醉拂ふのを得意とした時代があつたが、そんなこんなで自分はカフヱを好まない。プランタンといふ變な家もその開業當時友人に誘はれて、一緒に食事をした三囘の記憶以外に何も無い。第一(春の女)(秋の女)などといふ女は當時はゐなかつた。これも亦自分は惚れられる權利を持つてゐないので、記事の捏造なる事は疑ひも無い。
驚く可き事は、初め憎むべき東京朝日新聞の記者の捏造した一記事が、それからそれと傳へられて、眞の水上瀧太郎の他に、もう一人他の水上瀧太郎が人々の腦裡に實在性を持つて生れた事である。此の水上瀧太郎は某家の嫡男で、その父と父の業を繼ぐか繼がないかといふ問題から不和を生じ、廢嫡になるかならないかといふ瀬戸際迄持つて來られた。勿論物語の主人公だから世にも稀なる才人である。新聞記者の語をかりて云へば天才といふものなのである。
ところが眞の水上瀧太郎は新聞記者の傳へた都合のいゝ戲曲的場景の中に住んではゐなかつた。彼は天才でもなんでもない。彼はもつたいない程その父にその母に愛されて成人した。彼が小説戲曲を書いて發表したのは事實である。しかも曾て文筆を持つて生活しようと考へた事は一度もなかつた。彼の持つて生れた性分として、彼は身の圍《まはり》に事無き事を愛し、平凡平調なる月給取の生活を子供の時から希望してゐた。勿論自分自身充分の富を所有してゐたら月給取にもなり度なかつたらう、恐らくは懷手して安逸を貪つたに違ひない。彼は落第したり、優等生になつたり出たらめな成績で終始しながら學校を卒業し、海外へ留學した。父が保險會社の社員だつたといふ事は彼の學ばんとする學問には何の影響をも持つてゐなかつた。父とも約束して、彼は經濟原論と社會學を學ぶつもりで洋行した。しかし學校の學問は面白くなかつた。學者となるべく彼はあまりに人生に情熱を持ち過ぎてゐた。時にふと氣まぐれに保險の本を買集めたり、圖書館へ通つて研究する事もあつた。しかしそれが彼の留學の目的ではなかつた。足かけ五
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