装つた。真に深い愛情と強い執着とが俺にあつたなら、俺はどうしてぢつとして居られよう。単なる生理上の器械だとして、彼の肉体をある快味の放散にのみ使用することだけで、俺の満足が得らるべき筈ではないのである。畢竟は俺は彼にも猶俺自身をつつんで居た。従つて、彼も亦自身をやはりつつんで居たのであつたらしい。それが今夜はさうでない。彼のこの姿は即ち彼自身であつた。実在である。真実である。これだ。世間の男が一様に憧れ求めて居たのは、この姿だ。初恋の女に求めたが疑惑と遠慮とがあつて、遂に捉へそこねた。家庭はあまりに物質的である。捜しあぐねた男達は淫蕩の巷に趨つた。そこには虚偽が一切を領して居た。舞の扇の先にも虚偽のわざとらしい線が描かれてゐる。虚偽の情味を購ふに虚偽の財宝《ざいはう》を以てするのであつた。多くの男の眼は白い、はち切れさうな、膩の多い女の肉をあさり求めた、僅に息づいて居るものは本能であつた。それは浅ましい、むさくるしい、かつては恥を感じたと云ふことのない盲目的のものであつた。美しい女の美と見えたものは、実は心の栄養の全く不充分な、そして疾《やまひ》と疲《つかれ》とが産んだ反自然《はんしぜん》の畸形児《かたはもの》であつたのだ。現にここにかうして向合つて居る女がそれだ。俺がそれだ。
 けれども、もう我等は肉を超越しなければならない。本能の眼を開かなければならない。余は汝を愛す、俺はかう云はなければならないのか。或は亦、余は汝と別れる、俺はかう云はなければならないのか。実際を云へば俺はまだこの間題を真面目に考へたことがないのである。今は正しくその時が来た。
 男は屹となつて何かを云はうとして、女の顔を見た。女はもうけろりとしてゐる。そしてだらしなくくづした膝から肩へかけて、人工的に作上げた曲線の気味悪い美くしさだけが目についた。
 張り切つた男の心はその一瞬で又ゆるんでしまつた。
 丁度此時、松村の奥座敷には、桑野が若い奥さんに向つて、白川と相談した要領を純化して、噛んでくくめる様に説ききかせて居る時であつた。
[#地から1字上げ](「大国民」 大正二・一〇/『遺稿』所収)



底本:「定本 平出修集」春秋社
   1965(昭和40)年6月15日発行
※底本は、著者によるルビをカタカナで、編者によるルビをひらがなで表示してありますが、このファイルでは、編者によるルビは略し、著者によるルビをひらがなに改めて入力しました。
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
※作品末の執筆時期、初出、初収録本などに関する情報は、底本では、「/」にあたる箇所で改行された2行を、丸括弧で挟んで組んであります。
入力:林 幸雄
校正:松永正敏
2003年5月6日作成
青空文庫作成ファイル:
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