しも彼の心を動かさなかつたと云ふのでもなく、男は只無意識であつたのであるが、女にはさうは思へなかつた。
「貴方、きいて居て下さるの。」
「きいてるよ。」
「今夜は無心を云つてるんぢやないことよ、真剣よ。」
「真剣だ。俺も真剣になつてきいてるよ。」
「ぢやなぜ鼻であしらつたりなんぞなさるんです。あたし本統に心配でならないから云ふのよ。」
男は妙に気がめりこんでならなかつた。皮肉らしいことでも云つて空元気《からげんき》をつけてやらうと思つた。
「お前の心配は後藤さんのこつたらう。」
かう云つて彼は口をすうすう云はせた。唇をまげて舌で吸ひこむのが彼のくせであつた。
「なんですつて。」
女は自分の云つてることがちつとも先方《むかう》へ通らないもどかしさと、一年も前の古い後藤の名を云ひだされた邪慳さとで、無暗に心がいきりたつた。
「何を云つていらつしやるの。あたしがどうかしたと云ふんですか、何をしました。この頃になつて私が何をしました。さあ、おつしやい。ぜひおつしやつていただきませう。」
男は今更らしく当惑した。女がひすてりつく[#「ひすてりつく」に傍点]にいきり立つてくると、殆ど押へか
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