と、女は意地にも男の心を引きつけて置かなけりやならない。それで居て女はちよいちよい浮気をした。若い役者のなにがしと立てられた噂や、田舎出の若旦那を手玉にとつたと云ふ蔭口は、全く根も葉もない事ではないのであつた。それを男に責められると、彼はちつとも悪びれるところもなく、
「ええ、さうよ。でも貴方は別ものにして置くからいいでせう。」
女はいつも隠しだてをして押しきつてしまはうとはしないのであつた。こんな間柄になつて居るとまでは見破ることの出来ないお茶屋の女中や朋輩芸者は「あやちやんは利口ものだ」と云つて感心すると同時に「松村の旦那はちつとも御存じないのかしら」と云ふ様な目付で、男の顔を気の毒さうに見て居ることなどもあつた。男にはそれが一つの侮辱と思はれた。で、女によくかう云つた。
「俺の名前にかかるやうなことをしてくれちや困るぢやないか。」
男は殊更に鷹揚な態度を示して、かうは云ふものの、深い憤《いきどほり》を包むに苦しさうな顔付をすることが常であつた。一思《ひとおもひ》にこんなやくざ女を蹴とばしてしまはうといきりたつこともあつた。ただ四五年の間絶えず茶屋酒に親んで来て修業が大分《だいぶん》に積んで来た上の彼としては、野暮《やぼ》臭いことを云つて一一女の所行を数へ立てて、女房かなにかのやうに、色里の女を取扱ふことを潔しとしないやうに思つても居た。ときとすると、女が何事もあけすけに打明話をしてくれるのを、自分に対して隔意《かくい》がないからだとも考へ直して見て、そこに昔の大通《だいつう》のあつさりした遊振りを思合せて、聊かの満足を覚えることもあつた。で、女のふしだらが最も劇しく、最も露出《むきだし》に行はれてる間は、彼はぢつと虫を殺して之を眺めて居ることも出来た。「今に又帰つてくる。」彼は女が必ず自分の膝の前に手をさげて、堪忍して下さいと云つてくることを予期して、わざとなんにも知らない顔で、女のするがままに任せて居ることもあつた。それ故、このやうなときには、二人の間は却つて――それが心からの融和はなかつたとは云へ――睦しさうにも見えるのである。
やがて女が一人ぽちになる。寂しさをしみじみ感じてくる。ふつと自分の左右をふりかへつて見ると、男は、その美貌と、金と、程のよい扱ひぶりと、もともと浮気な気性からとで、若い奴《こ》に目をかけたり、腕のすぐれた年増芸者と張り合つたりして居るのに気がついてくる、矢も楯もたまらないやうになつて、彼は男の心の逃亡を引つつかまへようとして、あべこべに男から引外《ひきはづ》され、縁はさう云ふときに屹度きれる。きれた縁のつながるときには、二人の親しさがもう一倍増してゐる。おなじやうな事件をくりかへして居るうちに、女は段段と男に引ずられて行くやうになり、男の方でも段段此女と離れることが出来ないやうにもなつて行く、長い月日のうちに、男が交際をして居る多くの客人《きやくじん》からも、怪しまれることのない、公然の間柄ともなり、秘密話《ないしよばなし》の一室にも、彼だけは遠慮をすることもいらないものとして、出入《しゆつにふ》を許されるやうにもなつた。男が誰と会つて、何を話合つて、どんなことを計劃して居るのであるか、聞くともなしに聞いて居た其場の模様から、彼は段段男の仕事《しごと》に興味をもつやうになつた。
「旦那、お気をつけなさいよ。ゝゝさんはうす気味のわるい人ねえ。一言《ひとこと》云つちや旦那の御機嫌をとつて居るんですもの。」
こんなことを云つて、彼は目付役をつとめることを自分の役目だと思つて居るらしい処も見えた。いつかしら男の仕事のすべてに対して、彼はある程度の理解と意見とを蓄ヘて、事実の中核《ちゆうかく》に触れた注意を、男に云ひ出すことも屡あつた。
いろんな処でいろんな女に出くはして、手を出して見たのも数は少くないが、どの女もどの女も、男にとつては座興のやうな気持でしかつきあへなかつた。大阪から来て新橋で名びろめしたみな子と云ふ女などは、大分に長い間相手となつては居たが、気立がおとなしいとか、偽《うそ》が少《す》くないとか、親切なとか、云はば普通の女の普通の取なしの外に何《なに》が男をひきつけるものがあつたであらうか。取出して云ふほどのことはもとよりなかつた。つまり女は女だけのことしか考へない。惚れた男に遇へば嬉しい。浮気をされれば泣く。面白さうに笑つて、男の心をたぐりよせて、明日と云ふことなしに眠つてしまふ。寝巻姿の女だけしか目に映らない。それがあや子になると、あそび半分真面目半分で語り続ける夜も多かつた。会ふ人も会ふ人も、男から見ればみんな自己本位からの利害の関係者である。相手が自己本位であると共に、松村彼自らも亦自己本位である。話の合間合間《あひまあひま》にすら、少しの油断も出来ない。杯盤の間に於
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