かし貴方だけですぜ、『君つ』と云つて来れる人は。『白川が来たよ』つて、大将は貴方の噂をして喜んでゐますよ。本統[#「本統」は底本では「本続」]ですよ。」
「それは俺も知つてるんだがね。」
「まあとにかくやつていらつしやい。悪いことは無いから。実際心細いんです。仕事は忙がしくなる、手は拡げる。しつかりした相談相手といつちや僕だけでせう。」
「それでも気がついて居るのかい。」
「そりやね。僕と二人つきりになると、打明話があるんです、あの位利口な人ですから、満更のほほんになつちやゐませんや。」
こんなことが度々重なつたので、白川も我を折つて此度の相談をもちかけて行つた。
「私もねえ、かうして居れば、かなり贅沢にくらしては行けるがね。まだ仕事がし足りないんだ。片手業と云ふのもをかしいが、どうでせう、少し働いて見たいんです。何か貴方の仕事のうちで私でやれさうなものがあつたなら、分けてくれませんか。」ある時白川はこんなことを松村に云つたこともあつた。十分に打解けるつもりでゐてもこんな生真面目な話になると「君」とは云はないで「貴方」と云はなければならないのを白川は本意ないことに思つた。
「さうかい。君がさう云ふ希望があるんなら……。」松村はややしばし考へて居たが、
「東洋演芸などはどうかね。」
「あの八重洲町にある会社でせう。」
「さうさ、あそこに専務がいるんだ。僕は推選を頼まれてるんだけれど。」
「面白いですな。あれなら私に適任でせう。敢て自ら薦めてもいいと思ふんです。」
「まあ考へておこう。あすこも今社債問題で悩んで居るんだ。僕が……」
話の中に電話の呼鈴がなつた。松村は起つて之と通話を済ませて、
「これがあの問題だ。もうすつかり出来たところを、あの川下のやつめ、ぶうぶう云ひ出しやがつて、之から一つ怒鳴りつけてやらう。」
会ふことがしげしくなるにつれて二人の友情は蘇《よみがへ》つた。松村もだんだん白川を手近く引寄せたいと思ふ様になつた。
白川の顔を見るなりふつと厭な気がした松村はすぐ気分をかへて笑を浮べた。けれども眼ざとい白川はこの刹那の変化を見のがしはしなかつた。しかし、それを憎む心もちにもなれないのみならず、むしろ松村の苦しげな内心の動揺に自らの胸の顫《ふる》へを覚えた。彼にはまだ痺《しび》れきらない真心が閃いて居ると思はれたからである。
「いや。」松村は軽く会釈
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