かと思ふんだが……。」
「誰がなつたらいいのですか。」
「誰でもいいだらう。君の方の本人だつていいぢやないか。」
「さうですなあ。」白川はわざとよそよそしく云つて桑野の方を見ながら、
「君も知つてる通り、あの戸畑にそんなことが解らうはずがないんだ。どうもね、あんな解らない人間は滅多にありませんよ。何か一寸としたことでも話がかはると、『まあ考へて見ませう』つて、二日も三日もぢつと考へ込むんです。狸爺がなんぞ云つて、あいつがわざと解らない振りをするんだなんて云ふ人もあるがね、さうぢやないんだ。全く呑込みがわるいんだ。ここまで話が進行して来たのを、根本からひつくりかへすとすると……。」
「根本からぢやないんぢやないか。責任者はきまつてゐるんだから。」
「そこですよ。あいつは約手で振出が誰で、裏書が誰でと云ふ条件ならと云ふので承知したんです。それが変更することになると、全《まる》で違つた話になると云ふんです。それはきつとさう云ふに極つてゐるんです。」
「困つたおぢいさんだなあ。」
「それだから話が困《むつ》かしかつたんです。何でもこの行き方ですからなあ。」
二人は顔を合せて苦笑した。桑野はただ黙つて二人の云ふことを聞いて居た。白川が例の端的な気性で、ずんずん切込んで行つて、談話を議論にしてしまひやしないかと、危んで居ながらも口をさしいれる隙を見出さなかつた。松村は追々時間が経過して行くことをあせつた。十時には築地の某倶楽部に会見する約束がある。早く話を切上げてそこヘ出かけなければならない。詞の潤《うるほひ》も艶《つや》も工夫して居るのがもどかしくもなつた。
「とにかく、会社が仲裁人の位置に立つてのはおかしいぢやないか。」彼はずぼんのかくしのあたりへ無意味に手をやりながら、いくらか思切つて云つてのけると云ふ風を示してかう云つた。白川は我儘なことを云ふ男であると思つても、しかも今迄下手に出て居たのであつたが、かう云はれて見ると、一つ云ひこめてやらなければならないと云ふ気になつて来た。ふだんはおとなしい心の弱い性で居ながら、相手が嵩《かさ》にかかつて来るとなると、何ものも恐れないと云ふきかん気が此男の頭の中に燃えたつのである。
「さう貴方が云ふんなら、私の方でも一寸理窟が云つて見たくなるんだが……。」
白川は袂から手巾を取出して口のまはりを拭いた。
「一体私は貴方を苦しめに此
前へ
次へ
全22ページ中7ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
平出 修 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング