家に誰が居るものか。彼は一時にかつとなつて、瞳を据ゑてお使僧の方を見つめた。
お使僧の説教は、彼女にとつては覗《のぞき》からくりの歌声《うたごえ》よりも猶無関心のものであつた。唇はたゞ動いて居るとしか思へなかつた。之を聴聞したい為に彼女はこゝへ来たのではない。帰つてしまはうと思へばすぐ帰つてしまへるのである。話に身を入れて聞くと云ふ様な殊勝な気は彼には決して起らない筈であつた。それが実に不思議である。彼が反省も思索もなく、きつとお使僧を見つめたとき、彼女は溢るゝ計りの熱心と真実との籠つた彼の説話の二言三言を聞くとはなしに聞き入つた。
「さて御同行衆《ごどうぎやうしう》、之から一大事の後生のことでござる。よく聞いて貰はなけりやならん。」
お使僧は詞を切つて、一度座中を見まはして、やがて話をつゞけた。
「炎天つゞきの真夏のことであつた、俺《わし》はこの夏米山越をしました。峠の上りにかゝつた頃はもう午下り、一時頃ででもあつたでありませう。何しろ熱い日盛のことだから、土から熱気が火焔のやうにもえあがる。そろそろ足も疲れて来る。汗はだらだらと流れて、目の中へ流れ込むと云ふ有様ぢや。小風呂敷一
前へ
次へ
全35ページ中29ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
平出 修 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング