利が敷きつめてある堅さうな土であつた。と、どやどやと人の足音がして、真先に黒服の看守が立つて、二組の囚人が門の外へ出て来た。
 盗人の妻の頭の中にはこの時のことがしつかり刻み込まれて居た。良人がどうして居るだらうと思つて、じつと考へ込んで居るときには、赤煉瓦の高い塀と、黒い鉄の門と、柿色の衣物を着て鎖でつながれた囚人の姿とがいつでも目に浮んで来る。日の目を見ない瞳はどんよりと濁り、頬は蒼ざめ、さかやき[#「さかやき」に傍点]はのびて穢《むさ》くるしくなつて居たあの時の囚人の顔が、自分の良人の顔と一つになつて、まざまざと闇の中でも見えて来る。
 良人が家に居てくれてすら生計《くらし》が付かなかつた手許であつたのに、村中から法外人あつかひにせられ、日傭取に出ようたつて一寸頼み手もなくなつた。十六になる伜は二三ヶ村離れたある知合の家へ奉公にやつてあるが、まだ十二の女の子と九つの男の子が残つて居る。小作をして居た田圃に水がついて鎌入れする張合もない。畑にとれた木綿を少し売つて百姓が麦を買はんければならない。大根と粉米《こごめ》と麦とをまぜた飯でも、腹一ぱいに食ふことが出来ないのであつた。秋はだんだん更《ふ》けて行く。人の膩《あぶら》を吹き荒す風で手足の皹《ひび》が痛いと云つて、夕方になると、子供がしくしくぢくね[#「ぢくね」に傍点]出す。そのすゝぎ湯を沸かすさへ焚物が惜まれた。
 調絲《しらべいと》の走る途《みち》だけ飴色につやが出た竹の車で糸を紡いで、彼は暗い行燈の灯をかきたてゝは眠い目を強ひて明けて夜業をした。魚脂油《ぎよしあぶら》の臭いにほひが、陰気な、寂しい室中《へやぢゆう》に這ふ。彼はそんなときになると、きつと良人《をつと》の顔が目の先にちらついてくることを感ずる。懐《なつか》しいと思ふこともあつたり、惨《みじめ》な目にあつてゐるであらうと思ふこともあつたりすることはあるが、彼はすぐに気が昂《たかぶ》つて、あの事がすつかり露顕《ばれ》てしまふ様になつた良人《をつと》の頓間《とんま》さを思ひ返しては、独りいらいらするのが常であつた。甘く仕事をしてしまつたのであるから、そつと落ちついて村に居てくれゝばなんでもないのであつたんだにと思ふと、町の地獄女に引つかかつて、自分までを騙して、気をぬく為めだと云つて茶屋酒なんぞを飲んであるいた為《し》うちが肝癪に障つて来るのであつた。それから良人を縛つてえらさうな顔をして居た巡査が憎くらしく、五本足の犬の見世物でも見るやうに、あの日の良人の廻りにより集つた村の人々が忌々しかつた。もつと/\考へて見ると、盗まれ主の親様の、土蔵の白壁が一番悪いんだとも思はれて来る。それでなくつても、食物がほしい、着ものがほしい、厚い蒲団がほしいと、物心ついてから四十二の今日まで、人のものを羨むと云ふことにのみあこがれて来た彼の眼には、あの白壁の中にどんな和《やはらか》い、どんなに美しい、見ただけで胸がわくわくするやうな、珍しい反物や珠玉《しゆぎよく》が蔵《しま》つてあるだらうか、それが一一手に取つて見えるやうにも感ぜられるのであつた。そこで他人のものを盗み取つた良人の行為は、決していゝことであるとは思へないが、そんなに憎々しいことを云はないでも、少しは憐れだと云ふ同情《おもひやり》があつたつてよさ相なもであるとも云つて見たい。
「ほんとにまあ、畜生が。」
 家宅捜索の日に、自分を刎ね飛ばして、穴蔵から、赤縞《あかじま》双子《ふたこ》の解皮《ときかは》が一反、黒繻子の帯も、之も解き放した片側が一本出てきたとき、あの親様のおつか様が恐しい目をして私を睨んだ。
「これだ、これだ。姉さあの帯皮だ。」かう云つてぐるぐる巻にしておいた帯皮を長々とひろげて、黒い蛇ののたうち廻つたやうに、室一ぱいに引きずつた。ふだんは、やさしい人なつこいあのやうなおつかさま[#「おつかさま」に傍点]でも、いざ自分《じぶん》のものとなると、あの様な劇しい詞が口から出る。盗人と畜生とが一つに見られてしまふ。憎いと云へば、此人だつてやはり憎い。
 丁度こんな毒々しい考に気が欝込《めいりこん》だ或宵のことであつた。彼は、いつまでも物を云はない、いつまでも動くもののない――子供はとうに寝入り込んで居た――夜の寂寞に堪へられなかつた。くたくたになつた藁草履を引つかけて背戸口から往来に出た。日がくれて間もない時刻であるから、銘々の家から、明りがさし、人の話声なども、しかとはわからないが、ごそごそと耳にはひる。姿も見えないどこかのあまり遠くない所に追分節の長く引つぱつた声が聞えたが、中途でばつたり切れた。静かなことはやつぱり静かである。
 彼は観音堂の境内にはひつた。往来からは何の仕切もない広前が少しばかりあつて其正面の奥手に御堂がある。四つばかりの階段を上
前へ 次へ
全9ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
平出 修 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング