夜烏
平出修

−−−−
【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)精《しら》げられない

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)。段段|先方《むかう》では

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「木+解」、第3水準1−86−22]《くぬぎ》の

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)ひよろ/\した
−−−−

 夏水をかぶつた猿ヶ馬場耕地の田地は、出来秋の今となつては寔に見すぼらしいものであつた。ひこばえのやうにひよろ/\した茎からは、老女のちゞれた髪の毛を思はせるやうな穂が見える。それも手にとつて見るとしいな[#「しいな」に傍点]が多い。枯穂も少くない。刈つたところで藁の値うちしかないかもしれない。米として見た処で鳥の餌の少し上等な位にしか精《しら》げられないだらうと思はれる。地租特免になつても、小作ばかりの此貧村の百姓に何のお蔭があらう。骨つぷしの強い男共は、遠い上州の蚕場へ出稼に行つた。中には遙かに遠い北海道あたりへまで働きに行つた。やがて雪がふる。冬籠の中でこしらへる草鞋細工の材料の藁さへ乏しい寒さは、どうして凌いだものか。居残つた者はその当《あて》さへなしに、少しばかりの畑を耕して、勢《せい》のない鋤鍬を動して居るのである。
 麦の芽が針程に延びて、木綿畑では、枯葉やはぢけたもも[#「もも」に傍点]の殻がかさかさと風に鳴る静かな朝のことであつた。この寂しい、死んだやうな村に一つの出来事が起つた。それは盗人が巡査につかまつたと云ふ事件であつた。
「儀平のとつさあ[#「とつさあ」に傍点]しばられた。」
 三十戸しか無い村中にこのことが忽ちのうちに響き渡つた。
「親様(昔の荘屋を親様と云てゐる)の土蔵破りだてや。」
「ほんだか。」
「まあ。おつかない。」
 鋭い、いらいらした、尖《とが》つた気分は、重く澱んだ村中の空気をつきやぶつた。短い沈黙の後に、聞耳たてたひそひそばなしと、頓興ながやがや声とが入りまじつて起つた。ある者は片足ばきの藁草履で戸口を飛びだした。縄帯をしめしめ当もなく小走りにあるいてる若者もあつた。
「こらあ。吉次や、家《うち》へこいつてば。」
 子供を表へ出すまいとして、家の口か
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