二黒の巳
平出修

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)間延《まのび》な

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)に芸者|家《や》を

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   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「欸」の「ム」に代えて「ヒ」、第3水準1−86−31]待
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 種田君と一しよに梅見に行つて大森から歩いて来て、疲れた体を休ませたのが「桔梗」と云ふお茶屋であつた。
「遊ばせてくれますか、」と種田君はいつもの間延《まのび》な調子で云つたあとで、「エヘツヘヘ」と可笑しくもないのに笑ふと云つた風に軽く笑つた。私は洋服であつたが、種田君は其頃紳士仲間に流行《はや》つた黒の繻子目《しゆすめ》のマントを着て、舶来《はくらい》の鼠《ねず》の中折帽《なかをればう》を被《かぶ》つて居た。
「いらつしやいまし、」と云つて上るとすぐ階子段《はしごだん》を自分から先に立つて、二階へ案内したのが、お糸さんであつた。色の浅黒い、中高な、右の頬の黒子《ほくろ》が目にたつ、お糸さんは佳《い》い女の方ではなかつた。すぐれて愛想のよいと云ふ程でもなかつた。それでも私達は其夜からお糸さんが好《す》きになつた。月に一度や二度は屹度《きつと》遊びに行つた。種田君はもう四十を越して居た。私だつて無責任の学生ではなかつた。宿場女郎《しゆくばじよらう》のさびれた色香にひかされて通ふ身の上でもなかつた。仕事で疲れた頭を休ませに、少し風の変つた処へ遊び場をさがしにあるいてた私達には、お糸さんの内《うち》が最も適当であつた。品川に気のいいお茶屋があると云つては、いろいろの友達にも紹介した。松田君も行つた。宮川君も行つた。骨牌《カルタ》の好きな、そしていつでも負ける草香君も行つた。お糸さんはすぐ是等の人人にもお気に入りになつた。「桔棟」へ行つて遊ばうか。二三人種田君の銀座の事務所に集まるとすぐ相談は決まるのであつた。日の暮れを待たずに行くこともあつた。今夜の費用を出さうと云つては奢《おご》り花《はな》などを引いた。料理代を賭《かけ》て碁をうつこともあつた。お糸さんの内では別に芸者|家《や》をも開いて居た。おもちやと云ふお酌がまた私達のひいきであつた。其頃は十四であつたかと思ふ。円顔《まるがほ》の
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