むつちりとした可愛らしい子で、額付《ひたひつき》が今の菊五郎に似て居たので、おとはやおとはやと呼んで居た。おとはやと云はれると嬉しがつてよく私達の云ふ事をきいて、骨牌《ふだ》のお掃除や碁石の出し入れをしてくれた。
「もうあちらへ行きませうよ。」六時がすぎるとお糸さんはいつも催促した。六時を境《さかひ》にして昼夜の花に為切《しきり》がつく、お糸さんは決して六時前にはあちら[#「あちら」に傍点]へ案内をしなかつた。客にむだなおあしを使はせないやうに考へてるからである。そんなことが私達の気に入るのであつたかもしれない。
「今日は此処でくらすんだ。」私はかう云つて動かないことがある。するとお糸さんはせきたてる。
「いけませんよ、待つてるぢやありませんか。」
「誰が誰をさ。」
「誰でせう。」
「だが、じつにもてないね。」
「御じやうだんばつかし。貴方方にそんなことがあるもんですか。みんなが大騒ぎですよ。」こんなことをお糸さんは云ふけれど、花魁《おいらん》の口上だと云つていい加減なこしらヘごとを客に耳打すると云ふ、そんな人の悪いことは、お糸さんは決してしなかつた。
「どう云ふんだらうとお糸さんに聞くのもをかしいが、じつさい愛想のない女だね、」と私が真面目顔に云へば、
「どうしたんでせうねえ。勿体《もつたい》ないわ、貴方方に。」などとお糸さんは私に同情してくれる丈であつた。
「取りかへてごらんなさい、」と云つてくれたこともあつたが、
「なあにもてなくてもいいんだよ、」と私ははつきりしたことを云はない。
「貴方はさつぱりしていらつしやるんだから、」としひて見立替《みたてがへ》を勧めるでもなかつた。
ともすると連中一同が調子を外《はず》して大騒ぎをすることがある。宮川君丈が上戸《じやうご》であとはみんな下戸《げこ》であつた。その下戸の種田君に追分と云ふおはこがあつた。何程《どれほど》の甘味《うまみ》のあると云ふではないが、寂《さび》のある落ちついた節廻しは一座を森《しん》とさせることが出来た。金太郎と云ふ芸者がひよつとこ踊でよく喝采を博した。おもちやは鼓《つづみ》をうつ。お糸さんも細いすきとほつた声で、中音に都々逸《どどいつ》や端唄《はうた》を歌ふ。素人《しろうと》ばなれのした立派な歌ひ振《ぶり》であつた。さう云ふ中で私も負けぬ気でうろおぼえの御所車《ごしよぐるま》などを歌ふのであ
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