ども俺の良心は折折かう云つて俺をせめる。「汝は汝に与ふるに十分の報酬を以てしたならば、あの弁護は拒絶しなかつたのであらう」と。之には俺も苦しめられた。全くその通りだとも思つた。さうすると俺は、流俗の批判を恐れたものともなり、報酬の無いので拒絶したものともなる。人間道から云へば俺はあまり立派でない。
 田村の奴は俺が内心こんな苦悩をもつてゐると知つてか知らずでか、とにかく、俺を意気地《いくぢ》なしにしてしまつた。首が一つしかないからお前はこはかつたんだらうとほざいた。口惜《くや》しいが為方《しかた》がない。俺は黙つてしまつた。
     *    *    *    *
 つまらぬことを俺は思ひ出したものだ。こんなことはもう二年前のことだ。世間ではそんな事件があつたことさへ忘れてしまつてゐる。俺は年を老《と》つた。愚癡になつたんだ。昔の生物学者が云つたやうに、人間の身体から一種の気が立つて行く、其気が適当に発散しないで凝滞《ぎようたい》すると病気が出る。俺も気の発散が滞《とどこほ》つたのであらう。少しからつとした心持にならう。
 俺がかう考へ込んで居るのに、今朝は又愛子の姿が見えない。雑
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