誌記者にでも襲はれてるんだらう。俺はあれの前では、こんな切《せつ》なげな眼付《めつき》をしては居らない。愛子は俺の心を読む術を知つて居る。俺が黙つて居る間にも、俺が何を思念し欲求して居るかを看取してしまふ。人間が思索する丈では物界の現象が動かないと云ふ定則は、愛子によつて屡破壊しかかつた。愛子は此定則と反対に俺の思索を現象の動揺と見るらしい。只あれの神通力も時には其通を失つて、俺の考と全く違つた方面に事実の認定をしてしまふことがある。鬼神でない一介の婦女子だから、敢て詰責するにも当らないが、俺は苦苦《にがにが》しく思つたり、片腹痛く感じたりすることがないでもない。日外《いつぞや》もかう云ふ事があつた。吉原が全焼した当時のことで、此天災を好機として吉原遊廓の滅絶論を唱へる人があつた。救世軍や基督教徒を中心とした一団と、女権論者の一群とが首唱者であつた。ふだん女権などを云はない人でも、婦人は流石に之には賛同せざるを得なかつた。旭光新聞などは四方に訪問記者を走らせて、名流の談話、殊に婦人達の談話を聴取させて、之を毎日の紙上に発表した。大同小異で、何れも吉原再興に反対する宣言であつた。其間に立つて俺の愛子丈は、吉原再興をむしろ当然の事だと云ふ意見を発表して居た。俺は実は愛子が新聞記者に面会したことも、それと談話を交換したことも知らなかつた。ただその前に愛子が俺にその問題を語り乍ら「どうでせう」ときくから「吉原廃滅などは出来ない相談さ」と云つてやつた。彼はそれを以て俺の意見であると誤信してしまつた。そして其趣意を敷衍《ふえん》して新聞記者に演述したものと見える。俺はあの記事を見たときくすぐつたいやうな感じがしてたまらなかつた。「えらいことをしやべつたな」と云つたら、真顔になつて、「だつて私は貴方の御意見に雷同したんですもの」と云つた。目から鼻へぬける程の悧口ものでも、やつぱり浅薄なものだと俺は思つたが、強《しひ》てそれに批評を加へることもしなかつた。
近頃一部の人から起つてる陪審制度論の根柢がやはりここにある。人間は鬼神でない、人間には神通力がない。然るに裁判は第一に事実を認定し、第二に其認定した事実の上に法律を適用する処の作用である。この事実の認定は、本来は神でなければ出来ぬことである。此困難な為事《しごと》の全部を今の裁判官に任せてしまつてあるのが、そもそも誤判を生む原
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