をつけた。女の頭の傍に擴げたままの手帳が一册はふられてあるのが目に入つた。亨一は手をのばしてそれを取り上げた。
「犠牲は最高の道徳でない。けれども犠牲は最美の行爲である。」女は書き出しにかう書いてゐる。
「死は人間の解體である。破壞は社會の解體である。死そのものは誰か罪惡であると云はうぞ。それと同じく破壞そのものは亦決して罪惡ではない。死は自然に來たる故に人は免れ難いものだと云ふ。然らば破壞が自然に來たときは、やはり免れ難い運命だと云ふべきであらう。破壞が自然に來る。自然に來る。破壞を企てる人間の行爲は即ち自然の力である。我は自然の力の一部ではあるまいか。」こんなことが、極めて斷片的に書きつづけられてある。殊に最後の一節は、亨一のと胸をついた。
「私共の赤ん坊はよくねかせてある。誰も知らない、日もささない、風もあたらない、あの鴉《からす》共の目もとどかない處に、泣いたら泣き聲が大きかつたさうだ。」
 亨一は明りを消して床の上に横たはつた。女はまだあの戰慄すべきことを計畫してゐるんだ。女に心の平和を與へて、ふつくりした情緒に生きることを訓練しようと思つて、この三月《みつき》が間いろいろ苦
前へ 次へ
全31ページ中11ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
平出 修 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング