男は答が喉《のど》につかへて出ないのであつた。そしてまじまじと女の様子を見つめて、その冷静な態度に比して自分の見苦しさを恥かしいと思つた。
「御無理をなさらないやうにねえ。」女はまだものを云ふ事が出来た。
「私よりも貴方の事だ。生は尊いものですよ。」
 亨一はやつとこれ丈を云つた。
「有難うございます。私は私で精進《しやうじん》しますから。」
「私は今は、云ふ事が沢山ありすぎて、却つて云はれません。何れ手紙で云ひます。あとからすぐ。」
「いいえ、いけません。手紙はよこして下さいませんやうに願ひます。」
「それはあんまり冷酷でせう。」
「決して、そんな訳ではないのです。私、貴方の手紙を見たら、その手紙でまた気が狂ひます。此上私は苦悶を重ねたくはないのですから。」
「さうですか。ぢや手紙も書きますまい。」男は此詞の次に「もう一度考へ直して下さい」と云はうと思つたが、この場合それが如何にも意久地がないやうにも思はれたので、口をつぐんでしまつた。
 表に人のくるけはひがして、がたりと轅棒《かぢぼう》の下りた音がした。
「車が来ました。」かう云つた女の声は重いものに圧し潰されたやうな声であつた。
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