破壊は社会の解体である。死そのものは誰か罪悪であると云はうぞ。それと同じく破壊そのものは亦決して罪悪ではない。死は自然に来たる故に人は免れ難いものだと云ふ。然らば破壊が自然に来たときは、やはり免れ難い運命だと云ふべきであらう。破壊が自然に来る。自然に来る。破壊を企てる人間の行為は即ち自然の力である。我は自然の力の一部ではあるまいか。」こんなことが、極めて断片的に書きつづられてある。殊に最後の一節は、亨一のと胸をついた。
「私共の赤ん坊はよくねかせてある。誰も知らない、日もささない風もあたらない、あの鴉共の目もとどかない処に、泣いたら泣き声が大きかつたさうだ。」
亨一は明りを消して床の上に横たはつた。女はまだあの戦慄すべきことを計画してゐるんだ。女に心の平和を与へて、ふつくりした情緒に生きることを訓練しようと思つて、この三月《みつき》が間いろいろ苦心をして来たが、それが何程の効果もないらしい。女はやはり恐怖、自棄、反抗の気分から脱け出すことが出来ないのだ。かう思つて来ると亨一は今更自分の過失の罪悪を考へずに居られなかつた。
自分はかう云ふ暴逆的×××主義を宣伝する積《つもり》ではない
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