私の為事《しごと》の一つでしたわねえ。貴方に吩付《いひつ》けられた。」女は居住まひを直して男の真向《まむき》になつた。
「そして残酷な……。」と云ひ足して女は微《かすか》に笑つた。頬のあたりにいくらか血の気が上つて、笑つたあとの眼の中には暗い影が漂つて居る。
「どうしたと云ふのです。」亨一は著述の筆を措いて女の詞を遮つた。
「静岡へ送金することは、私の為事の一つでしたわねえ。貴方の先《せん》の奥様の小夜子さんへ手当《てあて》を差上げるのが。」
「それが残酷な為事だと云ふんですか。」
「さうぢやないでせうか。」
「これは意外だ。私は貴方に強制はしなかつたでせう。」
「ええ。けれど結果は一つですもの。」
 亨一は女の感情が段々|昂《たかぶ》つて来るのを見《み》た。云へば云ふ程激昂の度が加はるであらうと思つたから、何も云はずに女の様子をただ見つめて居た。もう女は泣いて居るのであつた。
 亨一と小夜子との間は二年前にきれてしまつたのである。趣味、感情、理想、それから亨一の主義と小夜子とは全くかけはなれたものであつた。殊に外囲からの干渉は、二人が育てた九年間の愛情をも虐殺してしまつた。小夜子は別
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