聞きとつた。それが中程になつた頃「もうよして下さい」と云はうと思つて詞が出て来ぬのであつた。「もういいでせう。」と男が最後に云つたときは訳もなくただ悲しくなつてしまつた。

 世に容れられない思想に献身する為に、亨一は憲法が与ヘたすべての自由を奪はれた。十年奮闘して何物をも贏《か》[#「贏」は底本では「羸」]ち得なかつた。国家の基礎が動揺して、今にも、革命の惨禍が渦まくかの様に思つたことは、どうやら杞憂にすぎなかつたとも考へて見なければならなかつた。不満と不平とに胸をわくわくさせて居ながら、何にも云はずに立ち廻つて行く流俗が却つて幸福であることを今更らしく思つても見なければならなかつた。今の人は譲歩と云ふことの真意義を知らない。けれども姑息《こそく》の妥協は、政治、経済の上では勿論、学問の上にも屡々行はれて、それで大きな勃発もなしに流転《るてん》して行く。譲るべき途《と》であると云ふ徹底的見地からするのと、譲るのが自己の利益だと云ふ利己的立場からするのと、意味がちがつて居ても、結果が屡同一に帰着する。そして社会の組織は割合に堅い根柢を作つて進んで行く。こんな平凡な議論にすら耳を傾けなければならなかつた。十重二十重《とへはたへ》にも築き上げられた大鉄壁を目がけて鏃《やじり》のない矢をぶつつけるやうな、その矢が貫けないからと云つて気ばかりぢりぢりさせて居たことが、全く無意味に終つてしまつた。
 僅に残つた親友の大川をはじめ二三の人々は、亨一の将来を気づかひ、あの儘にしておけば彼は屹度終りを全くすることが出来なくなると云つて、其前途を危《あやぶ》んだ。それで誠実と熱心とを以て亨一に生活の転換を説き、ある方法によつてある程度の自由が亨一に与へられるやうに心配もした。東京に居ちやいけないと、諸友は頻りに隠栖《いんせい》を勧めた。煩雑と抵抗の刺激から逃れて温泉地へでも行けと云つた。之等《これら》の黙止すべからざる温情が亨一の荒《すさ》んだ心に霑《うるお》ひを与へた。三月の初めに東京を逃れて此地に来た。山間の温泉場ではあるが、東京から名古屋へかけての浴客を吸集して、旅館の甍《いらか》は高く山腹に聳えて居る。清光園と云つて浴客の為に作られた丘上の遊園地の一隅に、小さな空家《あきや》があつて、亨一はその家を借りて移り住んだ。
 五月になつた。太陽の熱が南の縁に白くさす日がつづいた。若
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