れて静岡の姉の家に身をよせたが、亨一は之に対して生活費を為送《しおく》る義務を負つて居た。毎月|為替《かはせ》にして郵送するのがすず子の為事の一つであつた。亨一が一切の家政をすず子に任せたとき、すず子はこの為事を快く引きうけた。それから一年に近い間、この小さい為事は滑《なめらか》に為遂《しと》げられて来たのだが、今日はすず子に堪へられない悪感を与へるのであつた。
 しばらくしてすず子は泣声をやめた。けれども苛立《いらだ》つ神経は鎮まらなかつた。
「離縁した女に貴方がどうして義務を負つてるんですか。」すず子は声をふるはして云つた。
「そんなことを云つたつてしやうがないぢやありませんか。」
「私ねえ。前々から疑問でしたの。貴方は小夜子さんとは全くの他人となつた方《かた》でせう。それだのに……。」
「そんな事を云つたつて、女の生活ぢやありませんか。どうするにも方法がつかないんです。」
「けれども理由のない救助は、救助する方《はう》もされる方もをかしいぢやありませんか。」
「理由がないつて、全然ないとも云はれませんよ。」享一の眉宇には迷惑さうな色がありありと見えた。女はそんなことには何等の頓着がない。
「『もと妻であつた』其が理由でせう。然し今は、『あかの他人』、さうでせう。」
「もう其事はよさうぢやありませんか。」
「ねえ、さうでせう、今は他人でせう。その他人の小夜子さんと貴方との間に何の連鎖も残つて居ない筈ですわ。戸籍と云ふ形式の上にでも、愛情と云ふ心霊の上にでも、ですけど生活費と云ふ経済上の関係丈けは保たれて行つてゐますのねえ。私に、私にもしも貴方が飽きてゐらしつたら、私もやつぱり、私も……。」女は込み上げる涙を押へて、
「私も只お側《そば》に居ると云ふ丈け、生命《いのち》を維《つな》がせて下さると云ふ丈け、なんにも、なあんにもないんですわねえ。」女はだんだんやけになつて、泣きくづれた。
 亨一も真顔になつた。こんなときは、いくら理合《りあひ》をつくして云つても何のききめがないものであると云ふことは明らかであるけれど、やつぱり黙つて居ることが出来なかつた。
「愛情がどうのかうのつて、私と貴方との間にそんなことを云ふのは、それは間違つてゐます。私は貴方をどうしました。私はいつ貴方に背《そむ》きました。小夜子は長年連れそつた女で、沢山苦労もかけたのですが、それでも私は棄て
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