作者が日本語を以て日本の裁判所に於ての出来事らしく叙述するのは、蓋し止むを得ない処、読者は深く之を諒して此篇を読下せられたい。
 ある国の裁判官は斯の如き無作法な審理を日々に行《おこな》つて居る。只茲に例外の時がある。それは被告人に弁護人があつて、それが審理に立会《りつくわい》したときである。しかもその弁護人が摯悍《しかん》矯直《けうちよく》にして裁判官を面責することを恐れざる放胆を予《あらかじ》め示して置いたときである。かかる場合には裁判官は聊《いさゝ》か態度を慇懃《いんぎん》にし審理を鄭重にし成るべく被告の陳弁を静に聴いて居る。しかしそれはただ聴くだけである。聴いてそれを判断の資料に加へると云ふ考へがあると思つたら、その予期は見事に外れてしまふ。此人達は弁護人に対して敬意を表するに止まつてゐる。それが被告人の利益にも不利益にもならない。結局は聴いてくれないときと同じ結果になる。
 本論の被告人には弁護人はない。ないから被告人は心の十分の一も吐露することが出来ない。出来ないからつて、出来たからつて、それで裁判官の心が動かないとすれは、どうでもいいことである。けれども被告となつて見たら
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