公判
平出修
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)隆《たか》く
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)所謂|狭長式《けふちやうしき》で
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#ここから1字下げ]
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これは某年某月某日、ある裁判所に起つた出来事である。
正面には裁判長が二人の陪席とともに衣冠を正して控へて居た。向つて左には検事、右には書記、判事席のうしろの窓下には三人の試補が背広服で見習の為め傍聴をして居る。冬の日の曇つた光は窓を通して僅に法廷の半程にしか届かない。ずつと下の被告や弁護人の席はもう薄ぐらく、その後方に設けてある傍聴人席は殆どたそがれどきのやうに陰気臭い。編笠を脱がせられて、手錠をとかれて、看守の指図通り、極めて従順なる被告人は、書記席の下の桝の中へ、目白押しに二列になつて押しこめられた。数は六人である。弁護人は一人も出て居ない。
裁判長は書記から廻された記録の二三を取つてその中から一つを選み出した。最初に審理すべき事案をそれと定めたからである。
「××××。」裁判長は書類と被告席とを等分に見てから名前を呼んだ。呼ばれた被告は立ち上つて、
「はい」と云つて恐る恐るお辞儀をした。十四、五人の傍聴人の視線は等しくこの者の方に集つた。
被告はまだ二十一、二の若者である。
この被告の外貌は見る人にいい感じを与へる処が一つもない。かかる被告には通有とも云うべく皮膚は粗硬で色沢がない。眼窩は落ち込んで目はどんよりして居る。頬の皮はたるんで口を締めると縦に太い線が左右に這ふ。もとより口元に締りがなくつて下頤は長くやや突き出て居る。鼻の隆《たか》くしかも翼孔の小さいのと前額の広いのとだけは幾分此者の顔面の違常性を調和して居るが、短く刈つた毛髪の下からすぐ看取することの出来る頭の形は又直にその不均斉を思はせる。彼の頭は所謂|狭長式《けふちやうしき》である。そして如何にも脆さうである。つかんだらぐにやりと潰《つぶ》れやしまいかとさへ思はれる。全体は痩せて居て、縞目も判らぬ素綿入《すわたいれ》を着た肩は長い襟筋から両方に分れてだらりと下《さが》つた見すぼらしいものである。
彼は押しこめられてある桝の縁へ、危《あぶ》なつかしさうに手をかけ、うつむいて判事の問を待つて居た。
「××××はお前か。」裁判長はこの白癡《ばか》らしい顔貌の持主に重ねて問うた。
「はい。」
「お前は一審で懲役一年に処せられたが、その判決が不服だと云ふので控訴したのか。」
「はい。」
「どこが不服だと云ふのだ。刑が重いと云ふのか。犯罪の事実が無いと云ふのか。」
「はい、あの私は切手を、切手をはぎとつたのでは………」
「よろしい。待て。」裁判長は記録を繰つてある頁《ぺえじ》の処に目をとめた。
「お前の生れはどこだ。」
「私の生れは…………」
「××県××郡名取村三百二十八番地だな」
「はい、いいえ、わとみ村であります。」
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(此被告発音頗る不明瞭なり、わとみとなとりとのききわけが出来ない程に不明瞭なり、此点一審の記録は既に誤りあり、今亦此裁判長も判別に苦しめり、此後とも被告の答弁に聞とれぬ発音多かるものと知るべし)
[#ここで字下げ終わり]
「なに、わとり村。」
「わとみ村であります。」
「わとみ、わは平和の和か。」
「はい。」
「とみは富《ふ》の字か。」
「はい。」
「和富村《わとみむら》三百二十八番地。よろしい。住所は」
「住所は…………」
「今ないのか。」
「はい。」
裁判長は型の如く訊問を終へたがやがて又記録を繰つて一審判決の原本を見出した。
「一審判決によると、お前は××郵便局集配人として勤務中、第一、年月日××町××番地の郵便函の中より御大葬の絵葉書一組を竊取《せつしゆ》し、第二、年月日××町××番地の郵便函の中より封書に貼用《てふよう》しありたる三銭の郵便切手を一枚宛剥ぎ取り竊取し、第三に、年月日某取次所より某局へ集配すべき小包郵便物の中より軽便懐中電燈一個を同じく竊取したと云ふ事実である。之が不服だと云ふのだな。」
「はい。」
「どうして不服だと云ふのだ。盗んだことがないと云ふのか。」
「切手を…………切手をはぎとつたことなどはありません。」
「切手はとらない。そんな事があるか。お前は一審に自白して居るぢやないか。」
「私、はぎとつたなどと云はなかつた…………」
「云はない。お前は云つてるぢやないか。」
「切手がはげて居ました…………其日は大雨がふりまして…………」
「切手がはげて居た。どうして。」
「其日は大雨がふりまして…………」
「そんなお天気の事なんぞはどうでもいい。」
「はい。あの雨がふりまして、手紙がぬれて…………」
「手紙
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