偶然の障礙を呪はうともせず、又此偶然さへなくば自分はもう死んで居たのであると云ふ苦悶をも考へずに、彼は、「危機一発」であつたと只思つたに過ぎない。彼から見れば、死も生も同一の事の様にも取扱はれてるらしい。彼は第三者の地位に立ちて自己の自殺を客観して語ることが出来る。何もかもすつかり超越してゐるとも見える。「死と生とは天才にとつては同じことだ」と云つた杜翁《とをう》の言を以てすれば、彼も天才であると云はなければならない。若い弁護人は今更らしい真理の発見者であるかの如く心に微笑した。
* * *
時は明治ヽヽ年ヽ月ヽヽ日、一代の耳目を聳動せしめた。某犯罪事件の判決の言渡のある日である。開廷数時間前既に傍聴席は満員となつた。傍聴人は何れも血気盛んな、見るから頑丈な、腕つぷしの強さうな人のみであつた。何しろ厳冬の払暁に寝床を刎起きて、高台から吹きなぐる日比谷ヶ原の凍つた風に吹き曝され、二時間も三時間も立明し、狭い鉄門の口から押合ひへし合つて、やつと入廷が出来るといふ騒ぎだから並一通りの体格の人では、とても傍聴の目的を達することが出来ないのである。其多くは学生の装
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