らないと悲観しなければならなくなる。その悲観が事実となつてしまつて、被告等の予期は全く外れた。彼等は矢張り死刑に処せられた。若い弁護人は彼等の失望、落胆が忿懣に変じ、若くは自棄となつて、どんな無分別を起さぬとも限るまいと思つたから、慰藉とある希望とを与へたいと考へて、静に被告の席近く進んだのであつた。
被告席は四列になつてゐて、彼の担任せる被告等は第三列目の中程に居た。彼はその第四列目の右手の通路を隔てた処に、女囚の真野すゞ子が独放れて、一人椅子《いちにんいす》に凭つてるのを見た。彼女は彼を見て黙礼した。彼も同じく黙礼した。一語をも交したことのない女と、一語を交すこともなく別れて了ふのだと思つて、彼は或種の感じに撲たれた。
訴訟法上の形式として、総べての取調の終了したとき、裁判長は被告等に最後の陳述を許した。此許に応じて陳述したものが二人あつた。その一人はすゞ子である。
「長い間御辛労をかけましたが、事件も愈々今日でお仕舞となりました。私はもう何も申上ぐることもありません、又何も悔いる処はありません、私が只残念なのは、折角のヽヽが全くヽヽに終つたこと、それ丈であります。私が女だつたものですから……女はどうしても意久地がないものですから、……。それが私の恥辱です。私共の先人には、勇敢、決行の模範を示して死んだ人が沢山あります。私はその先人に対して寔に済まないと思ひます。私は潔く死にます。これが私の運命ですから。犠牲者はいつでも最高の栄誉と尊敬とを後代から受けます。私もその犠牲者となつて、今死にます。私はいつの時代にか、私の志のある所が明にされる時代が来るだらうと信じて居ますから何の心残りもありません。」
彼女がこんな陳述をして居たとき、若い弁護人は、片腹痛いことに思つた。彼女は何ものだ。何の理解があると云ふのだ。云はでものことを云ひふらし、書かでものことを書き散らし、警察の厳重なる取締を受けなければならなくなつて、無暗と神経を昂らせ、反抗的気分を増進させ、とどのつまりは此の如き犯罪を計画した。それが何の犠牲者である、何の栄誉と尊敬とが報いられる。元来当局者の騒ぎ方からして仰々しい。今にも国家の破壊が行はれるかのやうに、被告が往返する通路には、五歩に一人宛の警官を配置する。憲兵で裁判所を警戒する。裁判官、弁護人にも護衛を附す。こんなことは、彼女等をして益々得意にならせる許りである。革命の先覚者たるかの如くに振舞ふ彼女の暴状を見よ、苦《にがにが》しいことだ。
「私は一つお願があります。」彼女は尚饒舌をやめない。
「私はもう覚悟して居ます。此計画を企てた最初から覚悟して居ます。どんな重い罪科《おしおき》になつてもちつとも不満はありません。けれども私以外の多数の人々です。この人達は私共とは何の関係もありません。こんな犯罪計画は多人数を語つて居ては、とても成就することが出来ないものだと、最初から私は気付いて居ました。ほんの四人つ切りの企です。四人つ切りの犯罪です。それを沢山の連累者があるかの様に、検事廷でも予審でもお調べをなされました。それは、全く誤解です。その誤解の為、どれ丈け多数の方々が苦しみましたか、貴方方ももう御存じでいらつしやいます。此人達には年|老《と》つた親もあり、幼い子供もあり、若い妻もあります。何も知らない事でもし殺されると云ふやうなことになりましたら、本人の悲惨は固より、肉親や知友もどれ丈けお上をお怨み致しませうか。私共がこんな計画を企てたばつかりに、罪のない人が殺される。そんな、不都合な結果を見るやうになりますと、私は……。私は……死んでも……死んで死にきれません……」
彼女は段々に胸が迫つて来た。涙が交つて声は聞取れなくなつた。
若い弁護人も、彼女の此陳述には共鳴を感じた。いかにも女の美しい同情が籠つてゐると思つた。人間の誠が閃いてゐるとも思つた。本統に彼女の云ふことを採上げて貰ひたいと、彼自も判官の前に身を投掛けて哀訴して見たいとも思つた。
それもこれももう無駄になつた。彼女の顔を見たとき弁護人は刹那にその当時の光景を思起したのであつた。
彼女は美しい容貌ではない。たゞ口許に人を魅する力が籠つて居た。両頬の間はかなりに広く、鼻は低くかつた。頬の色は紅色を潮していつも生々して居た。始終神経の昂奮がつゞいて居たせいかもしれない。或は持病であると云ふ肺結核患者の特徴が現れて居たのかも知れない。被告等も退廷するときになつた。彼女が一番先になつて法廷を出る順序となつてゐる。若い弁護人が彼に黙礼した後直に、彼女は椅子を離れた。手錠を箝められ、腰縄がつけられた。彼女は手錠の儘の手でかゞんで、編笠をとつた。ここを出てしまへば、彼等は再び顔を合すことが出来ないのである。永久の訣別である。彼女は心持背延をしてみんなの方
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