だった。一人足りないのだ。漁夫のうちで一番年長の、このごろ神経痛になやんでびっこをひいていた、六助という親爺だった。
 それと知った人々は、こんどは暗闇の海に向って叫びはじめた。船端から身をのり出すようにして、声を限りに叫んだ。返事はなく答えるものはただ風と波のおとだけだった。

 晴れた朝がやがておとずれたが、六助親爺の死体はついにあがらず仕舞だった。破損した網の修理やなにかでしばらく仕事を休む日がつづいた。
 六助は隣村の、やはり農閑期を利用して毎年鰊場かせぎをしていた百姓だった。遭難後二三日すると、頭一面に瘡《カサ》のできたわらし[#「わらし」に傍点]の手を引いて、嬶が泣く泣くやってきた。帳場に会ってしきりに何かくどくどと訴えているらしい姿がとおくから見られた。
 彼女が帰ったあとで、その時彼女が帳場からもらった慰藉料がたった三十円だったといううわさが、どこからともなく伝わると、漁夫たちはわきたった。
「人間一匹の価、三十円とはどうでえ。」
「つぶして売ってももっとにはなるべえ。」
 彼らはふんがいし、旦那と帳場の仕打を恨んで口々にわめきたてた。
 食事の時だった。めったにそんな
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