、しんからうれしそうににこにこしだした。「おめえ、もうそんなことに気がついただか。」
「そりゃなア、おれもおもわねえじゃなかった。だけんどヤン衆たちアみんなこんなことにははじめてのものばっかしだべ。で、訓練がこれっぱかしもできてねえんだ。だもんであんまりいろんな問題持ち出しちゃ、まとまるめえって心配《しんぺえ》があったからわざと引っこめておいたのよ。」
七
後鰊もすんで終漁の時が来た。
腮別《あごわか》れ(終漁祝)には安着祝のときよりも少しは多く酒が出、漁夫たちはよっぱらってだみごえでうたをうたった。旦那の家の大広間ではあったが、今夜だけは誰はばかるものもない無礼講だった。彼らのうたう追分節や磯節には、ことしの鰊場かせぎも今日限りという、荒くれた彼らの胸にもわかずにはいない感傷がこもっていた。――旦那はその夜はついに姿を見せなかった。
ここだけでしかしすむ筈はなかった。酒も尽きて解散となると、「行ぐべ、行ぐべ、」と互いに誘い合しながら、彼らは連れ立って夜の町へ出て行った。――源吉はしかし、こんどはそのなかへははいらなかった。みんなからはなれ、山本と二人で外へ出た。
「あれ見ろよ。」生温かい五月の潮風に面を吹かせて浜べの方へぶらぶらとあるきながら、山本は彼方を指さして言った。彼の指さした方向には、居酒屋、小料理屋のたぐいが軒をならべてならんでい、野卑な絃歌がさんざめいていた。漁夫たちがそこへはいって行くうしろすがたが見えた。山本はつづけた。
「女どもがあすこにゃ手ぐすねひいて待っているんだ。漁師どもア骨までしゃぶられて明日の朝ア一文なしの素っ裸でたたき出されるんだ。そうなった奴らアどこへ行ぐ? 家へ帰るにゃ金はなし、とどのつまりはカムサツカ行きか、土方部屋のタコよ。行路病者になって帰る奴もある。渡りあるきの労働者っていうやつアなんによらず困りもんだなア。こないだみてえに折角かたまって戦ってもあとのしめくくりができねえのでな。」
翌日、国道の標示杭の立っているところまで一緒にあるいて来、そこで源吉は山本とわかれた。山本はそこから岩内まで出て汽車にのり、源吉はなお三十里の道を自分の村へ向ってあるくのである。――肩をならべてあるきながら、別れるまでにはいろいろな話があった。山本はそこではじめて農民組合というものについて、詳しく源吉に話してきかせた。村の農民組合支部の幹部としての自分についても語った。源吉にとってはすべてが新らしい未知の世界だった。むさぼるように彼は山本の話を聞いた。――「秋までにはきっとお前の村さ行ぐからな。」そう山本は別れしなに言った。
一人になって源吉はあるき出した。人家が絶えて、道は片側が山、片側が原野であるところへ来た。はじめてこの町へ入った当時の積雪は跡形なく消えて、ものかげに汚れた雪がのこっているだけだった。黒土には黄いろい草が萌え、いたやかえで、おおなら、かしわなどの木の芽が芳しい香りを匂わせていた。源吉はいくどもふりかえっては積丹岳を仰ぎ見た。山裾からすでに半ば以上あらわれたうす紫いろの山肌が、やわらかい春の陽のなかにけぶっていた。[#20字下げて、地より1字あきで]――一九三四年五月――
底本:「島木健作全集 第一巻」国書刊行会
1976(昭和51)年2月10日印刷
1976(昭和51)年2月20日発行
※底本の解題によれば、初出の『文學評論』第一巻第五號夏期創作特輯號(1934(昭和9)年7月1日発行)に発表された際には、以下が「…」を用いて伏せ字とされた。
・身ぐるみ剥ぎとって行ぐ奴からさかしまに剥ぎとってやるまでよ![#初出時「………………………行ぐ奴からさかしまに……………やるまでよ!」]
・地主よ、地主に目がつかんかい、地主に。[#初出時「……よ、……に目がつかんかい、地主に。」]
・貧乏人同士みんなして一つに固まるのよ。[#初出時「貧乏人同士みんなして……………………。」]
・遊んでただままくらってる地主に奪られねえ工夫するこった。[#初出時「…………………………………………………工夫するこった。」]
・死にに行く奴に金を返せって法があるかい、[#初出時「「………………行く奴に金を返せって法があるかい、」]
・そんなことで戦争に勝てっかい![#初出時「そんなことで……に勝てっかい!」]
・世のなかの仕組みがちゃんとそういうふうにできているんだ。[#初出時「世のなかの………がちゃんとそういうふうにできているんだ。」]
・つまり二重にしぼられてるんだ。[#初出時「つまり二重に……………………。」]
・三重にも四重にも搾られてることになろうが。[#初出時「三重にも……………………………………。」]
・こないだみてえに折角かたまって戦っても[#
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