と、たちまち真暗な網の底にあたってシュッシュッというひそやかなおとがきこえてきた。その音は次第に高く大きくなり、暫時にして水の跳ねとぶ騒然たるものおとに変って行く。――見よ、うす暗いカンテラの光りのなかにその網底に照し出された、夜目にもしるき銀鱗のひらめきを。
 数人宛、鰊汲み舟に分乗して待ちかまえていた漁夫たちは勇躍して鰊を汲みはじめた。汲※[#「※」は「手偏+黨」、第3水準1−85−7、111−16]《くみたも》のさばきもあざやかに鰊は舟に汲みあげられる。鰊汲み舟一杯には八石から十石の鰊を入れることができるのだ。
 鰊を汲みつつ唄う漁夫の網起しの唄。――
    おんじもおんこちャ―― しっかりたぐれ
    船頭や―たのむぞ サ―網起し
    鰊来たかよ ドッコイショ
    鰊ぐもりだ 今夜も群来《くき》た
    大漁ヨ― 祝いだ
    サ―網起し
 唄ごえは嫋々たる余韻をひいて、潮風の吹くがままに真暗な海上はるかに消えてゆく。
 群来《くき》た鰊の大群は、午前の三時頃になってようやく退去して行った。漁夫たちはあけ方まで休みなしに鰊汲をつづけ舟に一杯になるとそれを枠網にうつすのであった。一杯になった枠網は親舟に繋留し、夜が明けてから陸地に向って曳航した。
 浜べには町じゅうから駆り出された出面たちが、赤地に墨で奔放に書きなぐった大漁旗をおしかついであつまっていた。舟が近づくとわっという喚声があがる。すぐに陸あげがはじまる。枠網内の鰊はぽん[#「ぽん」に傍点]※[#「※」は「手偏+黨」、第3水準1−85−7、112−12]で畚にうつされ、出面たちはかけ声勇ましく歩み板を渡って廊下にはこぶ。
 漁舎に陸あげされた鰊の山は一刻も早く加工されねばならない。粒鰊を箱へ詰めおわると、出面と漁夫との鰊ツブシの作業がはじまる。その間にまじって学校を休んで働く子供たちの姿も見える。人手はいくらあっても足りはしないのだ。出刃を器用にひとまわしまわすと、鰊はたちまち脊鰊と胴鰊とに引きさかれる。さかれた鰊は鰓をつらねて干場で乾燥される。適度に乾燥したものはさらに二つに引裂かれて身欠き鰊となる。――一方には大釜が据えつけてあり、腐敗しかけてきた鰊がそのなかに投げこまれ、ぐつぐつと煮られている。いいかげん煮熟すると螺旋圧搾器にかけて油をしぼり、鰊粕をとる。その他数の子の製造、白子
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