は岡田のような心の状態には至り得なかった。岡田の世界は太田にとってはついに願望の世界たるに止まったのである。――そこにも彼はまた寂しい諦めを感じた。
 刑務所の幹部職員の会議では、太田と岡田とを一つ棟におくことについて問題になっているということであった。そうした噂《うわ》さがどこからともなく流れて来た。二人が立ち話をしていたのを、一度巡回の看守長が遠くから見て担当看守に注意をしたことがあったのである。二人を引きはなす適当な処置が考えられているということであった。――だが、そうした懸念はやがて無用になった。太田の病気はずっと重くなったからである。
 粥《かゆ》も今はのどを通らなくなって一週間を経たある日の午後、医務の主任が来て突然太田の監房の扉をあけた。冷たい表情で無言のまま入って来た二人の看病夫が、彼を助け起し、囚衣を脱がせて新らしい浴衣《ゆかた》の袖を彼の手に通した。朦朧《もうろう》とした意識の底で、太田は本能的にその浴衣に故郷の老母のにおいをかいだのである。
 太田が用意された担架の上に移されると、二人の看病夫はそれを担《かつ》いで病舎を出て行った。肥《ふと》った医務主任がうつむき
前へ 次へ
全80ページ中79ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
島木 健作 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング