、彼はすぐに口をつぐんでしまった。
「あの監房には本なんかありますか」
「全然ないんですよ」
「毎日どうしてるんです」
「なに、毎日だまって坐っていますよ」そこで岡田はまた白い歯を出して笑った。「君は夜眠られないって言っているようですが、病気のせいもあろうが、もっと気を楽に持つようにしなければ。もっともこれは性質でなかなか思うようにはならないらしいが」――太田が不眠症に悩んで、たびたび医者に眠り薬を要求したりしているのをいつの間にか知っていたのだろう、岡田はそういって忠告した。「僕なんか、飯も食える方だし、夜もよく眠りますよ」
「少し考えすぎるんでしょうね」彼は続けて言った。
「そりゃ考えるなといってもここではつきつめて物を考えがちだが……、しかしここで考えたことにはどうもアテにならぬことが多いんです。何かふっと思いついて、素晴らしい発見でもしたつもりでいてもさて社会へ出てみるとペチャンコですよ。ここの世界は死んでおり、外の社会は生きていますからね。……こんなことは君に言うまでもないことだが、これは僕が昔|騒擾《そうじょう》で一年くった時に痛感したことだもんだから」
 ちょうどその時、
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