二枚しかなかった布団の一枚を、寒くなったので岡田に貸したその翌日だったので、自分の柏餅の寝姿を見て、案外気立ての柔《やさ》しそうな岡田のことゆえ、気の毒がって他所《よそ》へ移ったのかも知れない、などとも太田には考えられるのであった。心がかりなので二、三日してから中村に逢って尋ねると、彼はすっかり合点《がてん》して、「いや、いいんだ、今日あたり君に逢って話そうかと思っていたところだよ。奴も落ち着くところへ落ち着いたらしいんだ。長々ありがとう」というのであった。――一九二×年十一月、日本の党はようやくその巨大な姿を現わしかけ、大きな決意を抱いて帰った山本正雄こと岡田良造は、その重要な部署に着くために姿をかくしたのである。
 ちょうどそれと前後して太田は大阪を去り、地方の農村へ行って働くことになった。同じ年の春、この国を襲った金融恐慌の諸影響は、ようやくするどい矛盾を農村にもたらしつつあったのである。太田はいくつかの大小の争議を指導しやがて正式に(原文二字欠)となった。彼は大阪に存在すると思われる上部機関に対して絶えず意見を述べ、複雑で困難な農民運動の指導を仰いだ。而してそれに対する返書を受
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