かの間のこの二つの想念の闘いにへとへとに疲れはてたのであった。その間かの男は毎日思い出せそうで思い出せないその顔を、依然運動場に運んで来るのである……。
だが、物事はいや応なしに、やがては明らかにされる時が来るものである。その男がここへ来て一と月あまりを経たある日、手紙を書きに監房を出て行った村井源吉がやがて帰ってくると、声をひそめてあわただしく太田を呼ぶのであった。
「太田さん、起きてますか」
「ああ、起きてますよ、何です」
「例の一房の先生ね、あの先生の名前がわかりましたよ」
「なに、名前がわかったって!」太田は思わず身をのり出して訊いた。「どうしてわかったの? そして何ていうんです」
「岡田、岡田良造っていうんですよ。今、葉書を見て来たんです」
「え、岡田良造だって」
村井は葉書を書きに廊下へ出て行き、そこで例の男が村井よりも先に出て書いて行った葉書を偶然見て来たのであった。癩病患者の書いたものに対するいとわしさから、書信係の役人が板の上にその葉書を張りつけ、日光消毒をしていたのを見て、村井は男の名を知ったのである。「え、岡田良造だって」と太田の問い返した言葉のなかに、村井は
前へ
次へ
全80ページ中55ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
島木 健作 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング