の顔が出て来そうな気が太田にはするのである。鳥かげのように心をかすめて通る、これらの情景の一つを彼はしっかりとつかまえて離さなかった。それを中心にしてそれからそれへと彼は記憶の糸をたぐってみた。そこから男の顔の謎《なぞ》を解こうと焦《あせ》るのである。それはもつれた糸の玉をほぐすもどかしさにも似ていた。しかし病気の熱に犯された彼の頭脳は、執拗な思考の根気を持ち得ず、すぐに疲れはててしまうのであった。しつこく掴《つか》んでいた解決の糸口をもいつの間にか見失い、太田は仰向けになったままぐったりと疲れて、いつの間にかふかぶかとした眠りのなかに落ち込んでしまうのである。――真夜なかなどに彼はまたふっと眼をさますことがあった。目ざめてうす暗い電気の光りが眼に入る瞬間にはっと何事かに思い当った心持がするのだ。あるいは彼は夢を見ていたのかも知れない。今はもう名前も忘れかけている昔の同志の誰れ彼れの風貌が次々に思いいだされ、その中の一つがかの男のそれにぴったりとあてはまったと感ずるのであった。だがそれはほんの瞬間の心の動きにすぎなかったのであろう。やがて彼の心には何物も残ってはいないのだ。手の中に探り
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