ことは考えようによってはまだ我慢の出来ることである。憎まれるという場合はもちろん、さげすまれるという場合でも、まだ彼は相手にとってはその心を牽《ひ》くに足りる一つの存在であるのだから。次第にその存在が人々にとって興味がなくなり、路傍の石のように忘れられ、相手にもされなくなるということは、生きている人間にとっては我慢のできないことであった。
ここの世界で発行されている新聞が時々配られる。それにはいろいろ耳寄りなことが書いてある。所内には新しくラジオが据えつけられ、収容者に聞かせることになった、図書閲覧の範囲が拡大された、近いうちに、巡回活動写真が来る、等々。だがそれらはすべてこの一廓の人間にとっては全く無縁の事柄なのである。病人は寝ているのが仕事だ、悪いことをしてここへ来て、遊んで寝そべって、しかも毎日高い薬を呑ませてもらっているとは、何と冥利《みょうり》の尽きたことではないか、というのであった。――刑務所内の安全週間の無事に終った祝いとして、収容者全部に砂糖入りの団子が配られ、この隔離病舎にだけはどうしたものかそれが配られず、後で炊事担当も病舎の担当もここのことは「忘れて」いたのだ、
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