な聲に變つて行く。それは何かけだものの遠吠えにも似たものであつた。――さういふう夜、五位鷺がよく靜かに鳴きながら空を渡つた。月のいい晩には窓からその影が見えさへした。
梅雨に入つてからの太田はずつと床につきつきりであつた。梅雨が上つて烈しい夏が來てからは、高熱が長くつゞいて、結核菌が血潮のなかに流れ込む音さへ聞えるやうな氣がした。それと同時に彼はよく下痢をするやうになつた。ちよつとした食物の不調和がすぐ腹にこたへた。その下痢が一週間と續き、半月と續き――そして一月に及んでもなほ止まらうとはしなかつた時に、彼は始めて、ただの胃腸の弱さではなく自分がすでに腸を犯されはじめてゐる事を自覺するやうになつたのである。診察に來た醫者は診《み》終ると、小首を傾けて默つて立去つた。
その頃から太田は、自分を包む暗い死の影を感ずるやうになつた。寢臺の上に一寸立上つても貧血のために目の前がぼーツとかすむやうになると、彼はしばしば幻影に惱まされ始めた。剥げかゝつた漆喰の壁に向つて凝つと横臥してゐると、眼の前を小さな蟲のやうな影がとびちがふ。――その影の動くがまゝに眼を走らせてゐると、それが途方もない巨大
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