できるやうになつた、――一九三×年、この東洋第一の大工業都市にほど近い牢獄の獨房は、太田と同じやうな罪名の下に收容されてゐる人間によつて滿たされてゐたのだ。太田は鍛へ上げられた敏感さをもつて、共犯の名をもつて呼ばれる同志達がこゝでも大抵一つおきの監房にゐることをすぐに悟ることができた。その聲のあるものは若々しい張りを持ち、あるものは太く沈鬱であつた。その聲を通してその聲の主がどこにどうして居るかをも知ることが出來るのであつた。時々かねて聞きおぼえのある聲が消えてなくなることがある。二三日してその聲がまた、少しも變らぬ若々しさをもつて思はざる三階の隅の方からなど聞えてくる時には、ひとりでに湧き上つてくる微笑をどうすることもできないのであつた。だが、一度《ひとたび》消えてつひに二度とは聞かれない聲もあつた。その聲は何處に拉し去られたのであらうか。――朝夕の二度はかうして脈々たる感情がこの箱のやうな建物のあらゆる隅々に波うち、それが一つになつてふくれ上つた。
2
間もなく日が黄いろ味を帶びるやうになり戸まどひした赤とんぼがよく監房内に入つて來ることなどがあつて、漸く秋の近さが
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