間を樂しんでゐるらしいのだが、もう秋もなかばのかなり冷たい風に吹きさらされて、心持ち肩をすぼめ加減にして歩いて行くその後姿を見送つた時、あゝこれがあの岡田の變り果てた姿かと思ひ、それまでぢつと堪へながら凝視してゐたのがもう堪へがたくなつて、窓から離れると寢臺の上に横になり布團をかぶつてなほも暫くこらへてゐたが、やがてぼろ/\と涙がこぼれはじめ、太田はそのまゝ聲を呑んで泣き出して了つたのである。
數へがたい程の幾多の悲慘事が今までに階級的政治犯人の身の上に起つた。ある同志の入獄中に彼の同志であり愛する妻であつた女が子供をすてて、どつちかといへばむしろ敵の階級に屬する男と出奔し、そのためにその同志は手ひどい精神的打撃を受けて遂に沒落して行つた事實を太田はその時まざまざと憶ひ出したのであつたが、さうした苦しみも、或ひは又、親や妻や子など愛する者との獄中での死別の苦しみも――その他一切のどんな苦しみも、岡田の場合に比べては取立てて言ふがほどの事はないのである。それらのほかの凡ての場合には、「時」がやがてはその苦腦を柔げてくれる。何年か先の出獄の時を思へば望みが生じ、心はその豫想だけでも輕く躍
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