るのである。――今の岡田の場合はそんなことではない、彼にあつては萬事がもうすでに終つてゐるのだ、さういふ岡田は今日、どういふ氣持で毎日を生きてゐるのであらうか、今日自分自身が全くの癈人である事を自覺してゐる筈の彼は、どんな氣持を持ち續けてゐるであらうか、共産主義者としてのみ生き甲斐を感じ又生きて來た彼は、今日でもなほその主義に對する信奉を失つてはゐないであらうか、それとも宗教の前に屈伏してしまつたであらうか、彼は自殺を考へなかつたであらうか?
 これらの測り知る事のできない疑問について知る事は、今の太田にとつてはぞくぞくするやうな戰慄感を伴つた興味であつた。――色々と思ひ惱んだあげく、太田は思ひ切つて岡田に話しかけて見る事にした。變り果てた今の彼に話しかけることは慘酷な氣持ちがしないではないが、知らぬ顏でお互ひが今後何年かこゝに一緒に生活して行く苦しさに堪へられるものではない。さう決心して彼との對面の場合の事を想像すると、血が顏からすーと引いて行くのを感じ、太田は蒼白な面持で興奮した。

     7

 太田は運動の時には丁度岡田の監房の窓の下を通るので、話をするとすれば運動時間を利
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