「なに、名前がわかつたつて!」太田は思はず身をのり出して訊いた。「どうしてわかつたの? そして何ていふんです。」
「岡田、岡田良造つていふんですよ。今、葉書を見て來たんです。」
「え、岡田良造だつて。」
村井は葉書を書きに廊下へ出て行き、そこで例の男が村井よりも先に出て書いて行つた葉書を偶然見て來たのであつた。癩病患者の書いたものに對するいとはしさから、書信係の役人が板の上にその葉書を張りつけ、日光消毒をしてゐたのを見て、村井は男の名を知つたのである。「え、岡田良造だつて。」と太田の問ひ返した言葉のなかに、村井は、なみなみならぬ氣はひを感じた。「どうしたんです、太田さん。岡田つて知つてでもゐるんですか。」
「いや……、ただ一寸きいたやうな名なんだが。」
さり氣なく言つて太田は監房の中へ戻つて來た。強い打撃を後頭部に受けた時のやうに目の前がくらくらし、足元もたよりなかつたが、寢臺の端に手をかけて暫くはぢつと立つたまゝ動かずにゐた。それから寢臺の上に横になつて、いつも見慣れてゐる壁のしみを見つめてゐるうちに、漸く心の落着いて行くのを感じ、そこで改めて「岡田良造」といふ名を執拗に心のなか
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