「太田さん、又新入ですよ。一房です。」興奮をおし殺したやうな村井の聲がその時きこえて來た。單調な毎日を送つてゐるこゝの病人達にとつては、新らしい患者の入つてくるといふことは、何にも増して大きな刺戟を與へる事實であつた。――だからその翌日になつて、朝の運動時間が始まつた時、太田は待ちかねて興味に眼を輝やかせながらその新入の患者の姿を見たのである。そしてその男の姿をちらりと垣間見た瞬間に、彼はおもはずハツと思ひ、輕い胸のときめきをさへ感じてそこに立ちつくして了つたのであつた。うららかな秋の一日で病舍の庭には囚人達の作つた草花の數々が咲き亂れてゐた。その花園の間を縫うて作られた道が運動の時の歩行にあてられてゐるのだが、その歩行者の姿を監房の中からつかまへようとすると、廊下のガラス戸が日光に光つてよくは見えなかつた。その上、監房の扉にはめられたガラスは小さいので、視野が狹く、歩行者の姿がその視界に入つたかと思ふとすぐに消えて了ふのである。――さういふ状態の下に、暫く扉の前に立つてゐて、その新入の男の姿を眼に捕へた瞬間に太田はわれ知らず、おやと思つたのである。
 その男は言ふまでもなく癩病患者
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