人に運ばれる水飴の爭奪に餘念もなかつたのである。
 何といふ淺ましい人生の姿であらう。
 太田は慰めのない、暗い氣持で毎日を暮した。病氣が原因する肉體の苦痛とは別に、このまゝで進んだならばいつしか生きる事をも苦痛と感ずるやうな日が、やがて來るだらうと思はれた。この豫感に間違ひはないのだ。その時のことを思ふと彼の心はふるへた。――人間は屡々思ひもかけぬ事に遭遇し、何か運命的なものをさへ感ずることがあるものである。太田がこの病舍生活のなかにあつて、ゆくりなくも昔の同志、岡田良造に逢つたのは、ちやうど、彼がこの泥沼のやうな境地におちこみ、そこからの出口を求めて、のた打ちまはつてゐる時であつた。

     6

 うとうとと眠りかけてゐる耳もとに、遠くの監房の扉を開く音が聞える。――人の足音に何か物を運び入れるやうな物音もまじつてゐるやうだ。全身が何とはなしに熱つぽく、一日のうちの大部分の時間を寢てくらすことの多くなつた太田は、半ば夢のなかで、遠く離れたその物音を聞き、どうもあれは一房らしいが、今迄ずつと空房であつたあの雜居房に誰か新らしい患者でも入るのであらうか、などとぼんやり考へてゐた。
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