元氣に打ちふりつゝ、しかも泣き出しさうな顏をしてうつろな眼を見張りながら。――ものの二十分もさうしてゐたであらうか、やがてやゝ常態に復ると心からの安心と共に深い疲れを感じ、氣の拔けた人間のやうに窓によりかゝつて深い呼吸をした。彼は肺に浸み渡る快よい夜氣を感じた。窓から月は見えなかつたが星の美しい夜であつた。
 ――強度の神經衰弱の一つの徴候ともおもはれるかうした心悸亢進に、太田はその年の夏から惱まされはじめたのである。それは一週に一度、或ひは十日に一度、きまつて夜に來た。思ひ餘つた彼は、體操をやつて見たり、靜坐法をやつて見たりした。しかしその發作から免れることはできなかつた。體操や靜坐法や――太田はさういふものの完全な無力をよく熟知しながらも自分を欺いてそんなものに身を任せてゐたのだ。病氣と拘禁生活による心身の衰弱にのみ、かうした發作を來す神經の變調の原因を歸することは彼にはできなかつた。彼はその原因のすべてでないまでも、有力な一つを自分自身よく自覺してゐたのである。――若い共産主義者としての太田の心に、いつしか自分でも捕捉に苦しむ得體《えたい》の知れない暗いかげがきざし、その不安が次
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