なたの事件は何です、と遠慮がちに聞いてみると、「つまらない女のことでしてね、つい刄傷沙汰になつて了つたのです。」さういつたまゝぷつつりと口をつぐんで、自分の過去の經歴と事件の内容については何事も語らなかつた。
「ねえ、太田さん、わたしは諦めようつたつて諦められないんだ。わたしはまだ二十五になつたばかりです。そして社會では今まで何一つ面白い目は見てゐないんです。今度出たら、今度シヤバに出たらと、そればつかり考へてゐたら、そのとたんにこんな業病にかゝつてしまつて……。私はばばァのいふとほり、なんとかして命だけは持つて出て、出たら三日でも四日でもいい、思ひつ切り仕たい放題をやつて、無茶苦茶をやつて、それがすんだら街のまん中で電車にでもからだをブツつけて死んでやるつもりです。嘘ぢやありません、私はほんとうにそれをやりますよ。」
全く心からさう思ひつめてゐるのであらう、涙でうるんだ聲で話すその言葉には、ぢかに聞き手の胸に迫つてくるものがあつて、太田は心の寒くなるのを感じ、聲もなくいつまでも戸の前に立つてゐた。
4
冬がすぎ、その年も明けて春となり、いつか又夏が巡つて來た。
肺
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