へ見られた。味噌汁は食器の半分しかなく飯も思ひなしか少なかつた。病人は常に少ししか食へないものと考へるのは間ちがひだ。病人といふものは食慾にムラがあり、極端に食はなかつたり、極端に食つたりするものなのだ。一度肺病やみの一人が雜役夫をつかまへて不平を鳴らしたが、「何だと! 遊んで只まくらつてゐやがつて生意氣な野郎だ!」聲と共に汁をすくふ柄杓の柄がとんで頭を割られ、そのために若者は三日間ほど寢込んでしまひ、それ以後は蔭でブツブツは言つても大きな聲でいふものはなくなつた。
さげすまれ、そのさげすみが極端になつては言葉に出して言ふまでもなく、何を言つてもソツポを向き、時々ふふんと鼻でわらひ、病人の眼の前で雜役夫と看病夫とが顏を見合して思はせぶりにくすりと笑つて見せたりする、それはいい加減に彼等の尖つた神經をいらいらさせるしぐさであつた。だが、憎まれ、さげすまれる、といふ事は考へやうによつてはまだ我慢の出來ることである。憎まれるといふ場合は勿論、さげすまれるといふ場合でも、まだ彼は相手にとつてはその心を牽くに足りる一つの存在であるのだから。次第にその存在が人々にとつて興味がなくなり、路傍の石の
前へ
次へ
全77ページ中21ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
島木 健作 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング