やるんですよ。」この前科五犯のしたたか者の辛辣な駁言には一言もなかつたが、成程その言葉どほりであつた。頼んだ本はつひに來なかつた。そして二度目に逢つた時、教誨師は忘れたものの如くよそほひ、こつちからいはれて始めて、あゝ、と言ひ、何ぶん私の一存ばかりでも行かぬものですから、と平氣で青い剃あとを見せた顎を撫でまはすのであつた。――讀む本はなく、ある程度の健康は取り戻しても何らの手なぐさみも許されず、終日茫然として暗い監房内に、病める囚人達は發狂の一歩手前を彷徨するのである。
 健康な囚人達のこゝの病人に對するさげすみは、役人のそれに輪をかけたものであつた。きまつた雜役夫はあつても何かと口實を作つてめつたに寄りつきはしなかつた。仕方なく掃除だけは病人のうち比較的健康な一人が外に出て掃いたり拭いたりするのである。衣替へなどを請求しても曾つて滿足なものを支給されたためしはなかつた。囚衣から手拭のはしに至るまで、もう他では使用に堪へなくなつたものばかりを、擇りに擇つて持つてくるのである。病人達は、尻が裂けたり、袖のちぎれかけた柿色の囚衣を着てノロノロと歩いた。而してかういふ差別は三度三度の食事にさ
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