ろされても、役人は三十分あるひは一時間の後でなければ姿を見せなかつた。漸く來たかと思へば、監房の一間も向ふに立つて用事を聞くのである。うむ、うむ、とうなづいてはゐるが、しかしその用事が一囘で事足りたといふことは先づないといつていいのである。――餘程後の事ではあるが、太田は教誨師を呼んで書籍の貸與方を願ひ出たことがあつた。監房に備へつけてある書籍といふものは、二三册の佛教書で、しかもそのいづれもが表紙も本文もちぎれた讀むに堪へない程度のものであつたから。教誨師が仔細らしくうなづいて歸つたあとで、掃除夫の仕事をこゝでやつてゐる、同じ病人の三十番が太田に訊くのであつた。――「太田さん教誨師に何を頼みなすつた?」「なに、本を貸してもらはうと思つてね。」「そりや、あなた、無駄なことをしなすつたな。一年に一度、役に立たなくなつた奴を拂下げてよこす外に、肺病やみに貸してくれる本なんかあるもんですか。第一、坊主なんかに頼んで何がしてもらへます? あんたも共産黨ぢやないか。頼むんなら赤裏[#「赤裏」に傍点](典獄のこと)に頼むんですよ、赤裏に。赤裏がまはつて來た時に、かまふこたアない、恐れながらと直願を
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