時には、もうコトコトと靴音が長い廊下の向ふに消えかけてゐた。
房内はきちんと整頓されてゐてきれいであつた。入つて右側には木製の寢臺があり、便所はその一隅に別に設けてあり、流しは石でたたんで水道さへ引かれてゐるのである。試みに栓をひねつて見ると水は音を立てて勢よくほとばしり出た。窓は大きく取つてあつて寢臺の上に坐りながらなほ外が見通されるくいらゐであつた。太田が今日まで足掛け三年の間、幾つかその住ひを變へて來た獨房のうちこんなに綺麗で整ひすぎる感じを與へた所は曾つてどこにもなかつた。それは彼を喜ばせるよりも狼狽させたのであつた。俺は一體どこへ連れて來られたのであらう、こゝは一體どこなのだ?
あたりは靜かであつた。他の監房には人間が居ないのであらうか、物音一つしないのである。それにさつきの看守が立去つてからほぼ三十分にもなるであらうが、巡囘の役人の靴音も聞えない。いつも來るべきものが來ないと言ふことは、この場合、自由を感じさせるよりもむしろ不安を感じさせるのであつた。
腰をかけてゐた寢臺から立上つて、太田は再び戸口に立つて見た。心細さがしんから骨身に浸みとほつてぢつとしては居られない
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