しかけて居て、瞼の内側の赤い肉の色が半ば外から覗かれるのであつた。
太田が監房に歸つて暫らくすると、コトコトと壁を叩く音が聞え、やがて戸口に立つて話しかけるその男の聲がきこえて來た。
「太田さん。」看守が口にするのを聞いてゐていつの間にか知つたものであらう、男は太田の名を知つてゐた。
「お話しかけたりして御迷惑ではないでせうか。じつは今まで御遠慮してゐたのですが。」
聲の音いろといふものが、ある程度までその人間の人柄を示すことが事實であるとすれば、その男が善良な性質の持主であるらしいことがすぐに知れるのであつた。こんな世界では恐ろしく丁寧なその言葉遣ひもさしてわざとらしくは聞えず、自然であつた。
「いいえ、迷惑なことなんかちつともありませんよ。僕だつて退屈で弱つてゐるんだから。」太田は相手の心に氣易さを與へるために出來るだけ氣さくな調子で答へたのである。
「始めてこゝへゐらした時には嘸びつくりなすつたでせうね。……あなたは共産黨の方でせう。」
「どうしてそれを知つてゐるんです。」
「そりやわかります。赤い着物を着てゐてもやつぱりわかるものです。わたしのこゝへ入つた當座は丁度あなた方の事件でやかましい時であつたし……、それに肺病の人はみんな向ふの一舍にはいる規則です。肺病でこつちの二舍に入るのは思想犯で、みんなと接近させないためですよ。戒護のだらしなさは、上の役人自身認めてゐるんですからね。……あなたの今ゐる監房には、二年ほど前まで例のギロチン團の小林がゐたんですよ。」
その名は太田も知つてゐた。それを聞いて房内にある二三の、ぼろぼろになつた書物の裏表紙などに、折れ釘の先か何かで革命歌の一とくさりなどが書きつけてある謎が解けたのである。
「へえ、小林がゐたんですかね、こゝに、それであの男はどうしました。」
「死にましたよ。お氣を惡くなすつては困りますが、あなたの今ゐるその監房でです。引取人がなかつたものですからね。藥瓶で寢臺のふちを叩きながら革命歌かなんか歌つてゐるうちに死んぢやつたのですが。」
いかにもアナーキストらしいその最後に一寸暗い心を誘はれるのであつた。そして今、この男に向つて病氣の事について尋ねたりするのは、痛い疵をゑぐるやうなもので殘酷な氣もするが、一方自分といふ話相手を得てしみじみとした述懷の機會を持つたならば、自ら感傷の涙にぬれて、彼の心も幾
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