心持である。扉にもガラスがはめてあつて、今暮れかゝらうとする庭土を低く這つて、冷たい靄が流れてゐるのが見えるのである。
「……………」
 ふと彼は人間のけはひを感じてぎよつとした。二つおいて隣りの監房は廣い雜居房で、半分以上も前へせり出してゐるために、しかもその監房には大きく窓が取つてあるために、その内部の一部分がこつちからは見えるのであつた。廊下の天井に高くともつた弱い電氣の光りに眼を定めて凝つと見ると、窓によつて大きな男がつゝ立つてゐるのだ。瞬《またゝ》きもせず眼を据ゑてこつちを見てゐるのだが、男の顏は恐ろしく平べつたくゆがんで見えた。何とはなしに冷たい氷のやうなものが太田の脊筋を走つた。その男の立つてゐる姿を見ただけで、何か底意地のわるい漠然たる敵意が向ふに感ぜられるのだが、太田は勇氣を出して話しかけて見たのであつた。
「今晩は。」
 それには更に答へようともせず、少し間をおいてから、男はぶつきら棒に言ひ出したのである。
「あんた、ハイかライかね?」
 その意味は太田には解しかねた。
「あんた、病氣でこゝへ來なすつたんだらう。なんの病氣かといふのさ。」
「あゝ、さうか。僕は肺が惡いんだらうと思ふんだが。」
「あゝ、肺病か。」
 突つぱねるやうに言つて、それからペツとつばを吐く音がきこえた。
「あんたも病氣ですか、なんの病氣です? そしていつからこゝに來てゐるんです。」
 明らかに輕蔑されつき放された心細さに、いつの間にか意氣地なくも相手に媚びた調子でものを言つてゐる自分をさへ感じながら、太田はせき込んで尋ねたのであつた。
「わしは五年ゐるよ。」
「五年?」
「さうさ、一度こゝへ來たからにや、燒かれて灰にならねえ限り出られやしねえ。」
「あんたも病氣なんですか、それでどこが惡いんです?」
 男は答へなかつた。くるつと首だけ後に向けて、ぼそぼそと何か話してゐる樣子だつたが、又こつちを向いた。その時氣づいたことだが、彼は別にふところ手をしてゐる風《ふう》にもないのだが、左手の袖がぶらぶらし、袖の中がうつろに見えるのであつた。
「わしの病氣かね。」
「えゝ、」
「わしは、れ・ぷ・ら、さ。」
「え?」
「癩病だよ。」
 しやがれた大聲で一と口にズバリと言つてのけて、それから、ざまア見やがれ、おどろいたか、と言はんばかりの調子でヘツヘツヘツとひつつるやうな笑ひ聲を長く引き
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